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「現実」よ、あんたはそんなに偉いのかい。

  十数年前に小泉内閣が登場してから、この国の姿は激変しました。個人の幸福よりも国家の利益を優先しようとする政治家たちは、やれ行政改革だ、規制緩和だなどと耳障りのいい言葉を国民の耳元に並べ立ててきました。そしてその連中の決まり文句はこうです。「現実を見ろ」。
  しかし果たして「現実」が人間のすべてでしょうか。今を生きる自分にとって、「二十年前の現実」と「昨夜の夢」の意味の違いがどれほどのものか、我々は厳密に説明できるでしょうか。彼らの言う「現実」が肩を怒らして跋扈すればするほど、その「現実」は検証されなければなりません。その検証の手段として最も効果的なものが「非現実」です。
  「なぜ傘を差しているのだ」という問いに「雨が降っていないからだ」と答える別役流のパラドキシカルな非現実観は、現実を鵜呑みにしている我々に、それを吐き出させる力があります。「非現実」を突き付けることによって、絶対的地位の上にあぐらをかいている「現実」にゆさぶりをかけなければなりません。文学や芸術の、それが使命です。
  と偉そうな事を言ってはみても、平凡な日常に埋没して生きて来たボクとしてはやはり日常というものから逃れる事はできません。ボクが書くのは、社会の片隅に生きる凡庸な男女の姿です。別に意識するわけではありませんが、どうしてもそれはユーモラスな人間像になってしまいます。一所懸命と滑稽は紙一重なのでしょう。ただ、笑って済ますのではなく、いわば「日常の波にのまれた魂が非日常に生まれ変わる」。ボクの創作姿勢の根本にあるのはそういうものです。先月、一年間毎日連載したユーモア小説「クラウディライフ」が完結しました。これは「曇りがちな人生」を送っている、年齢も性別も違う四人の男女の話です。普通の人が送るささやかな生活の中にこそ生きる意味はあると思っています。
  ありふれてある生身の人間が言葉と肉体で日常と非日常を往来する。今回の芝居ではそんな舞台を作って「現実」を検証していきたい、そう考えています。
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by morioka007 | 2014-04-29 16:26 | 演劇

プロフィール Profile

盛岡茂美

1952年 奄美大島生まれ
鹿児島県立大島高校・早稲田大学第一文学部卒業
神奈川県の公立高校に英語教員として35年勤務後退職。

30歳の時に日本シナリオ学校夜間部に入学、2年間通い、研修科を卒業。
以後仕事の傍らで映画・テレビドラマの脚本、芝居の台本等に携わる。
以来、主に奄美の南海日日新聞を中心に執筆活動を展開。
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主な著作
  小説「星の降る島」
       南海日日新聞連載
     「都会(まち)に吹く南風(はえ)
       南海日日新聞連載 海風社(1995年)
     「板付け舟で都会(まち)を行く
       南海日日新聞連載 海風社(2008年)
     「クラウディライフ」
       南海日日新聞連載(2013年~2014年)
  評論等(共著)  
     「群論 ゆきゆきて神軍」倒語社(1988年)
     「島尾敏雄事典」勉誠出版(2000年)
     「それぞれの奄美論・50」南方新社(2001年)
  エッセー
     「世間百態(ゆやだんだん)」南海日日新聞連載(1998年~2000年)
     「紬随筆」南海日日新聞連載
  その他劇評・映画評多数
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by morioka007 | 2014-04-29 16:10 | プロフィール

生きる深さ

「夢の碑」

南海日日新聞 94.12.14

 

世の中には知らなかったでは済まされないことがある。また、知らなければよかったということもある。東京の三百人劇場で、劇団文化座の「夢の碑」-- 私説 田中一村伝」公演を観た後、奄美出身の私はこの二つの気持ちの交錯に悩んだ。

 「夢の碑」は画家田中一村の半生を描いた劇である。文化座の堀江安夫が台本を書き、佐々木雄二が演出をしている。栃木県に仏像彫刻家の長男として生まれた一村は、幼児より絵画において神童の名を欲しいままにし、その稀代の才能は十代で全国美術年鑑に名を連ねるほどのものだった。しかし東京美術学校を病気と家庭の事情で入学後三ヶ月で中退、以来画家として決して妥協を許さないその姿勢がイバラの道を歩ませることになる。この一村が奄美へ活動の場を移した時には五十歳を過ぎていた。そして一九七七年、名瀬の有屋の借家において六十九歳で人知れずその生涯を閉じるまで、奄美は一村にとって大きな根幹となった。物語は一村(米山実)と、一村を生涯支えた姉(佐々木愛)の関係を縦糸に、一村の絵に対する姿勢を横糸に展開する。冒頭で島の老婆(鈴木光枝)がウナリカミガナシを暗示してこの姉の存在を意義づける手法は卓越している。中央画壇に背を向け、奄美にたどり着いた経緯の描写に多少の不満は残るものの、芸術家としての一村が、時代やそれが生み出す醜い権威を相手に奮闘する様は、現代を生きる我々に厳しく人間としての在り方を問いかけて来る。舞台全体に張り巡らされた氷のような緊張を奄美の無垢な情熱が溶かしていくという構成の仕方は三時間という長さを全く感じさせない。

 考えてみると、私が高校生の頃名瀬で安穏と日々を送っていた時も、一村は隣町の陋屋でステテコ姿に鬼気を呼んでキャンバスに向かっていたわけだ。しかし当時、この奇異な余所者の噂を聞いたことはなかった。私だけどなく、周りの大人たちも、いや日本中の人たちが一村の生存中には誰一人その光に触れたことはなかった。結局その死後に一村は一部の島の人たちや、ジャーナリストたちによって探り当てられることになる。そのことによって一村が日の目を見たというのではなく、世間が一村の光を浴びるようになったという言い方の方が正しいだろう。NHKの日曜美術館で初めて一村の絵を観て愕然としてた私も、その後横浜で一村展が催された時には早速出かけ、アンリ・ルソーを思わせるその画風の中に奄美の魂のようなものを感じてしばし茫然としてしまったものだった。

 貧困の中でおそらく画家としても人間としても最も充実した日々を送っていたであろう奄美での一村は、「知らなかった」ですませるにはあまりに美しく、そして哀しい。今頃になって時流に乗じてはしゃいでいる自分の凡俗ぶりを恥じるばかりである。そしてまた同時に、もしあのまま一村が埋もれていて知られることさえなければ、少女の片恋のようにもはや永遠に触れることの叶わぬ一村の心に思い焦がれて悩むこともなかったろうにと恨んだりするのである。せめてこの芝居が是非奄美でも上演され、それをきっかけに一村が「孤高の天才画家」という単一的な枠に閉じこめられるのではなく、より人間的な視点から一層研究されることを期待したい。たとえ記念碑などが建てられたとしても天上の一村は不相応に苦笑いするぐらいだろうが、不世出の画家が俗世の出口に奄美を選んで人類の遺産を残した意味を我々は考える必要がある。

 芝居を観た後、帰宅の電車の中で一つのイメージが浮かんだ。それは、作家の島尾敏雄と画家の田中一村が、互いに息抜きにぶらりとやってきた名瀬の永田橋あたりですれ違う光景である。二人の人生が交錯している形跡はないが、島での暮らしの中ですれちがったくらいの可能性はあるだろう。もし島尾を太陽にたとえるとすれば、一村は夜の海を淡い光で照らす月である。奇しくも共に六十九歳で逝き、奄美で輝いた二つの偉大な光の出会いを想像するだけで凡夫の胸は高まりを覚える。


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by morioka007 | 2014-04-20 10:57